三田英児こと浅利鶴雄は、やはり役者がやりたかったのだろう。病が癒(い)えると経営をはなれ、演技一本になる。初舞台は1924年(大正13年)12月23日から年末にかけて上演された舞踊劇『おもちゃの兵隊』だった。子供の日と名づけられた催し(第18回公演)でパントマイム、踊り、童話劇など8編の番組のうちのひとつだった。
第13回公演から小道具担当になった横倉辰次(たつじ・のち劇作家)という人がいて、記録を『銅鑼(どら)は鳴る』という本に残している。それによると『おもちゃの兵隊』は、人形振りで行進する数分の出し物だった。横倉たち裏方は拍手のサクラをした。面白がって緞帳(どんちょう)を何度もあげさせ、疲れる人形振りをさせつづけたという笑い話がある。
子供の日の次は年が明けた1月、築地小劇場初のシェイクスピア劇『ジュリヤス・シイザア』だった。せりふの少ない元老院議員のほか、シーザーの亡霊でも出た。横倉辰次によると、場数が多くきりきりまいの裏方が「浅利さん、これをもって出てください」と乾電池に青い豆電球をつけたものを渡した。鶴雄はさっと顔色を変えたが「人手がないんです」と押しつけられてしまった。渡した当人が言ったものだ。幽霊が自分で面明(つらあ)かりをもって出るのは開闢(かいびゃく)以来はじめてだろうな。