浅利鶴雄が先頭に立ってかき集めた若者は、すべからく貴族的だった。友田恭助も汐見洋(しおみよう)も裕福な家のお坊ちゃんであり、東屋(あずまや)三郎は元老の西園寺公望(きんもち)に育てられた人、竹内良作(のち良一)は男爵の子だった。工場主の家で育った千田是也は土方邸の富貴さを引き合いに「そこに集まった者も大部分はそれに劣らぬ、なかなか豪勢な連中だった」(『もうひとつの新劇史』)とふりかえっている。
父につれられ、小石川の土方邸を訪ねた田村秋子は芳紀(ほうき)まさに18歳、純情な下町娘だった。洋館の玄関にフロックコートを着た白髭(しろひげ)の家令が立っていたのにびっくりし、明治天皇も来臨した2階の大広間で稽古を見学してショックを受ける。皆が皆、まるで西洋人みたいだったからだ。本人の証言などをもとにたどってみよう。