土方与志と小山内薫の歩みをたどっているうちに、思わず大回りしてしまった。だが、それでわかってきたことがある。日本初の新劇常設館として開幕する築地小劇場は「新しい演劇」の成熟から生まれた運動ではなかった。およそ歴史とはそういうものかもしれないが、時代の激動が連鎖し、偶然が偶然を呼ぶなかから咲き出た、つかのまの花だったのだ。
第1次世界大戦後のヨーロッパで沸き起こった反戦の機運、新しい人間像への希求。ロシア革命の衝撃と民衆の時代の熱狂。関東大震災による江戸の消滅とモダニズムの勃興。新芸術の胎動をともなうそれらが、東京の廃墟(はいきょ)で劇的にかけ合わされたのである。土方が大戦景気の波に乗って株でもうけなければ、大震災によるバラック建築の許可という好機がなければ、築地小劇場が姿を現すことはなかった。