ディズニー映画の音楽とヴィクトル・ユゴーの原作の重厚さ――新作『ノートルダムの鐘』は、“大人のミュージカル”として新たな魅力で愉しませてくれる予感。
「結末は、観客自身が見つけてほしい」
この挑戦的な作品に8年もの歳月を費やしてきた演出スコット・シュワルツ氏は、どんなメッセージを舞台に込めたのか? 核心に迫るインタビューをお伝えします!
スコット氏:物語が“複雑”で“豊か”であることです。悲劇ですがとても誠実で、ほのかな変化の可能性や愛の広がりといった希望もある。「善」と「悪」という単純な物語ではなく、あらゆる登場人物に「光」と「影」があり、多様なニュアンスが折り重なっているのです。
スコット氏:『ノートルダムの鐘』を語るのであれば、偉大な文学である原作を語るべきです。このことは今から8年前、制作が始まる最初の段階で決めていました。実際、小説原文をそのまま保っている台詞も多くあります。ユゴーの原作に寄せれば、物語は映画よりもラジカルでシリアスな“大人向けの舞台”になるとディズニー・シアトリカル・プロダクションに伝えました。
スコット氏:映画の素晴らしい音楽の魅力をさらに引き出すこと。そして何より「人間関係」、つまり異質な他者との関係性とそれによって暴かれる愛や欲といった人間の奥底に隠された部分を描き出すことです。
スコット氏:中世ヨーロッパの典礼劇や神秘劇の手法を取り入れ、できるだけ「物」を排除し、「人」の要素を強く意識しました。また、舞台上にはクワイヤ(コーラス隊)が常駐し、壮大なスコアを劇中ほぼ歌い通します。実際どんな舞台になるのかは開幕まで想像していただくとして、より象徴的で演劇的な空間が立ち上がることで、観客は舞台との距離を感じることなく、まるで登場人物の一人になったかのような親密さを感じるはずです。
スコット氏:『ノートルダムの鐘』は、愛の物語であり、“すべての人間の物語”。「愛とは? 人間とは? 醜さとは?」といった無数の問いに、観客は自分の答えを見つけ出さなくてはなりません。舞台から提示されるその問いを、自由な想像力と感情で満たして欲しいと願っています。
スコット氏:まず、すべての俳優に求めるのは“複雑さを演じる表現力”です。カジモドには「内面的な未熟さ」と「大人の男の欲求」という相反する面があり、さらに虐げられた者の「無意識の怒り」があります。
エスメラルダは、路上生活を生き抜く「力強さ」を持ちながら、その精神は「純粋」であり、それでいてほとんどの男性が一目惚れするほど女性の魅力に溢れている。
フィーバスは、「野心家」でありながらも戦争の後遺症により心に「痛み」を負った人間。
そして、フロローは「愛と信念」を持ってはいるものの、自分の価値観から外れた存在を許すことができず、「歪みと苦しみ」の中で、冷酷な悪事を犯してしまう。けれども彼は決して悪役(ヴィラン)ではなく、一人の人間なのです。
スコット氏:その中でも特に複雑で、物語の中心となるのがカジモドとフロローの関係です。エスメラルダが現れる前は、カジモドにとってのフロローは自分を導いてくれる存在であり、フロローにとってのカジモドは聖職者としての自分の価値や信念を確かめさせてくれる存在でした。つまり、お互いを必要とする関係で、エスメラルダさえ現れなければ、憎しみ合うことなく、穏やかに過ごせていたかも知れません。かといって、その平穏が正しいかといえば、それも不確かなもの。ただひとつ言えることは、この社会において、良くも悪くも多くの出来事の引き金となっているのは「愛」だということです。
スコット氏:第一に原作小説を読み込むこと。そして、テキストに書き込まれた登場人物の「光」と「影」はもちろん、自分自身の「光」と「影」を表現する準備をしておくこと。その上で、勇気を持って、心を開くことです。また、中世の演劇では、配役が一日でがらりと変わり、まったく別の役を演じることも珍しくなかった。それができるくらい、作品と一体になって欲しいと思います。
スコット氏:この作品は、歌・ダンス・芝居とミュージカルのすべての要素を含んでいますが、決して典型的なミュージカルではありません。むしろ、ストレートプレイの感覚で臨んでもいいくらい。物語はシリアスで奥深く、観客の皆さんも作品の一部になり、自らの結末を見つけ出さなければなりません。逆に言えば、観客の数だけ結末がある。私たちがこの物語をどう語るか?
そして、皆さんがどう受け止めるか?
変化の可能性は無限にあり、その中から一人一人の観客にとって最良のものを引き出すことが私の演劇哲学です。日本という新しい環境、新しい観客の皆さんと、新しい感動を作っていくことが私の喜び。その出会いを、今からとても楽しみにしています。
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