ミュージカル『パリのアメリカ人』の舞台は1945年、第二次世界大戦終戦直後のフランス・パリ。
その歴史背景が深く関わっているシーンの一部を、イラストとともに分かりやすく解説します。
イラスト= 嶽 まいこ
1940年6月のパリ占領から、44年8月のパリ解放までの4年間のこと。
第二次世界大戦中、英仏連合軍を追い詰めたドイツ軍はフランスの首都・パリに進軍。パリを含めたフランス北部を占領地区としてドイツの統治下におき、南部を自由地区として、南部の都市・ヴィシーに政権をおいたフランスが統治する体制としました。
44年8月、アメリカ軍とフランス軍を中心とした連合国軍によりドイツ軍が降伏、パリの街が解放されますが、45年の終戦後も、しばらくの間は混乱が続きました。
アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(=ナチス)のシンボルマーク。終戦直後のフランスの混乱を描いた1幕冒頭の「協奏曲へ長調」では、カギ十字を想起させる振付も。
コラボラシオン=協力者、の意味。ドイツ軍降伏を知ったパリ市民は、占領期間中、ドイツ軍やヴィシー政権に協力した者への暴行や殺害を行いました。
このシーンに登場する女性は髪を剃られ、カギ十字がついたドイツ軍将校の上着を着ていますが、当時、実際にドイツ軍に近しいとされたフランス人女性は髪を丸刈りにされ、頭皮や肉体にカギ十字を描かれさらし者にされるなどの私刑を受けていたそうです。
1936年に竣工した、対ドイツ要塞線。ドイツとフランスの国境に建設され、国境を守っていましたが、1940年5月にマジノ線を迂回したドイツ軍の奇襲により、フランスは国境を突破されてしまいます。
南部の都市・ヴィシーに政権をおいたフランス政府。実際はドイツへの協力を義務付けられた傀儡(かいらい)政権。
パリ占領後、フランス市民により行われた対ドイツ抵抗運動のこと。フランス市民の多くが参加し、形勢逆転に大きく貢献したとされています。
※記事は、「四季の会」会報誌「ラ・アルプ」2019年4月号に掲載されたものです。
Copyright SHIKI THEATRE COMPANY. 当サイトの内容一切の無断転載、使用を禁じます。