第二次世界大戦後、極寒のシベリア。
そこに、帰国を願い祈り続ける日本人たちがいました。
涙さえ凍りつく 最果ての白い野に
つながれた我が友よ 明日を信じよう
想像を絶する飢えと寒さ、そして過酷な重労働——。
戦後ソ連に抑留された日本人は約60万人、うち6万人が命を落とし、さびしい、荒れ果てた大地に眠らなければなりませんでした。
九重秀隆もそのひとりでした。
秀隆は名家の御曹司。そんな彼を、ソ連は協力者にしようとしていました。
しかし、秀隆は決して受け入れようとはしません。
申し出を断った彼に待っていたのは、一週間で百時間にもおよぶきびしい尋問でした。
「脅しに屈して祖国を裏切る人間ではない」
疲れ果てながらも収容所仲間と話すうちに、秀隆はアメリカに留学していたことろ思い出すのでした。
1937年、アメリカ。
国境をこえた運命の恋が始まる——
戦争の足音が近づくころ、秀隆はニューヨークで学生生活を楽しんでいました。
ある日、美しい東洋人女性と出会います。
「どこの国から来ようと、私は私」
「名前があろうがなかろうが、僕は僕」
ひかれあうものの、互いの名前さえも知らないまま、別れ際に再会の約束だけをして別れてゆくのでした。
祖国を背負っての許されない恋
次の日、秀隆は友人とともに英国総領事館でのパーティに出かけました。
そこで昨日の女性を見つけます。偶然の再会を喜ぶ二人。
ところがその喜びが不安へと変わる事実を知るのでした。
愛玲は敵国・中国の高官令嬢だったのです。
しかも彼女には婚約者がいました。
二人の思いを知った周囲の人びとは、二人を引き裂こうとします。
戦争、そして永遠の別れ——
日本と中国の戦争が決定的となり、二人は互いの国への帰国の途につくのでした。
帰国後、父の秘書官となった秀隆は、上海で愛玲と再会を果たします。
二つの国の和平実現を誓い、愛玲に求婚する秀隆。
平和の到来を願いながらも秀隆との許されない恋に苦悩する愛玲。
「誰か教えて
引き裂かれた愛のゆくえを…」
たとえ生命を犠牲にしても
日本人としての心と誇りだけは守りたい…
和平工作にたずさわった秀隆は、召集されて満州に。
そのまま終戦を迎え、終戦直前に侵攻してきたソ連軍に捕らえられてシベリアに抑留されてしまいます。
そんなとき、秀隆は収容所で学生時代の友人に再会。
すでにソ連の協力者になることを受け入れていた友人は、秀隆にもサインをするように勧めるのでした。
しかし、秀隆は自分の志を貫き通し、脅しにも耐え、拒み続けます。